TERAMOTO くらしとterakoyaコラム

平安時代から未来のロボットまで。拭き掃除の道具の歴史と今後を考える
2021.02.24 お掃除コラム

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「楽に掃除したい」という人間の欲は何百年も前から変わりません。だからこそ、掃除道具は進化を遂げました。特に雑巾は、令和時代において拭き掃除ロボットに組み込まれる等、未だに進化しています。一方で、その歴史をご存知の方はほとんどいないのではないでしょうか。そこで今回は各時代の拭き掃除と道具について雑巾を中心に解説します。日本史の教科書に出てきた偉人達も関わっており、掃除の見方が変わるかもしれません。

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意外と深い拭き掃除と雑巾の歴史

皆さんは「ベルサイユのばら」の舞台である18世紀パリが悪臭漂う都市であったのをご存知でしょうか。当時は廃棄物・排泄物が街中に捨てられるのが日常茶飯事であり、掃除文化が発達していなかったのです。伝染病が大流行したことからもその深刻さが想像できます。

一方の日本では縄文時代には既に掃除文化があったことが示唆されています。その根拠が当時のゴミ箱集積所である「貝塚」です。生活する中で排出されるゴミを居住空間から離れたところにまとめるという発想は、現代の掃除の概念と一致します。更に平安時代になるころには雑巾の原型である「浄巾」を使って、床の拭き掃除をしていたとの記録が残っています。

以下では拭き掃除の歴史や雑巾の進化の軌跡について、歴史上の出来事と絡めて振り返っていきます。

平安時代の拭き掃除と雑巾

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平安時代の特徴は、国をあげて掃除に取り組んだ様子が窺えることと、「拭き掃除」が行われた記録が残る最古の時代だということです。加えて雑巾の形状が現代とは異なります。

平安時代中期、醍醐天皇の命により「延喜式」の編纂が始まり、後に施行されました。延喜式とは当時の朝廷の法令集、いわば貴族生活や国のあり方をまとめたルールブックのようなものです。興味深いことに、この法令集には京の衛生環境を保つべく、清掃や掃除の文言が数多く記述されています。この時代には実際に道路を綺麗にするための命も発せられました。

さらに「扇面法華経」という法華経を書写した扇形の冊子本には、舎人が「棒状」の雑巾で貴族邸を掃除する様子が描かれています。以下では、なぜ雑巾が「棒状」でなければならなかったのか、時代背景を掘り下げつつ解説します。

棒状の雑巾で走り回ることが効率的な時代

平安時代は雑巾をモップのような棒状にして、走り回るように掃除をするのが効率的でした。なぜならば、当時の貴族邸は「寝殿造」という建築様式を採用しており、壁や仕切りの少ない開放的な作りになっていたからです。

また、各部屋は長い廊下で囲われていました。必然的に大広間や廊下を掃除するには、かがんで雑巾がけをするよりも、柄を持って走り回る方が効率的でした。ちなみに同じ扇面法華経の絵の中で、羽ぼうきを使っている様子も描かれており、当時から棒状の雑巾とあわせて使用されていたことが推測されます。

※出典:国立研究開発法人 国立環境研究所「ごみ研究の歴史 – 循環型社会・廃棄物研究センター オンラインマガジン『環環kannkann』

室町時代の拭き掃除と雑巾

室町時代は手持ちの雑巾が普及した時代だと推測されています。その根拠は当時の文献中にある、掃除用の布を指す用語です。文献の中では雑巾でなく「浄巾」と呼ばれていますが、これが手持ちの雑巾の原型です。

そしてこのように雑巾の形状が棒から手持ちに変化した要因として、実は武士が実権を握ったことが関係している可能性があるのです。

武士の台頭が雑巾の形を変えた

一度、平安時代の話に戻ります。平安時代の末期になると、貴族の内部紛争を武力で解決するため、武士が動員されるようになりました。次第に武士が政治の実権を握り始め、鎌倉幕府、室町幕府のような武家政権が誕生したのです。
この流れの中で、前述の寝殿造に武家の住宅様式のテイストが加わり、「書院造」の建築が増えてきました。

雑巾の形が変わったのは、この書院造特有の建築構造に由来します。書院造は壁が少なく柱が多かった寝殿造と対照的に、襖や障子で部屋が仕切られています。また、床の間や違い棚も生まれる等、現代の和風住宅のような複雑な作りです。
そのため、大雑把に床を拭く棒雑巾よりも、様々な場所を細かく拭ける手持ち雑巾の方が重宝されるようになったのです。

江戸時代の拭き掃除と雑巾

室町時代は雑巾の形を変えた時代ですが、江戸時代は雑巾の「普及率」と「素材」を変えた時代です。上述の書院造が一般の住宅にも広がった結果、民衆の間でも掃除への意識が向上し、雑巾が普及しました。

元々、日本人の思想として「掃除は穢れをはらい、災いを断ち切るもの」といった神道に由来する考え方もあってか、この時代に高まった衛生意識は現代にも脈々と受け継がれています。加えて、掃除を修行の一部とする禅宗の影響によって、掃除文化が定着したともいわれています。
一方、雑巾の素材もそれまでは「麻」が使われていましたが、「木綿」が用いられるようになりました。

江戸のファッション革命が雑巾にも影響

江戸時代には、木綿がいかに優れた繊維であるかが認知され、生活のあらゆるところで利用されるようになりました。丈夫な上、肌触りや吸湿性も高く、染色もしやすかったからです。具体的な利用シーンとしては、足袋、布団、庶民の普段着などが挙げられます。絹に比べて値段が安いこともあり、木綿は庶民のファッションを前進させました。

そして着物や布団の繊維が変化することは、雑巾の素材も変わることを意味します。なぜならば、当時からリサイクルという概念は存在しており、使い古した着物や布団をほどいて雑巾を作っていたからです。ちなみにこの頃に、浄巾から雑巾という呼び名に変わっていきました。

江戸時代の掃除習慣が明治時代の学校教育に影響

江戸時代に掃除文化が民衆に広まった影響は、明治時代以降の学校教育にまで波及しています。1897年に「学校清潔法」という法令において、学校の掃除方法が規定されましたが、これは本来学校当局にあてられたものでした。
それにも関わらず、大多数の学校で児童自らが掃除をすることが慣習となり、令和の世にも受け継がれています。

※出典:東京都立図書館「麻から木綿へ | 大江戸ファッション | 「江戸・東京デジタルミュージアム」古きをたずねて、新しきを知る。

未来の拭き掃除と雑巾

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アメリカに本社を置く大手ロボット掃除機メーカーは、2010年代に自動で拭き掃除を行うロボット掃除機を開発しました。本体の下に雑巾のような専用パッドを取り付け、乾拭き、もしくは水拭きを行います。

水拭きモードでは油汚れなどの頑固な汚れを取り除き、乾拭きモードでは髪の毛やホコリを絡みとることが可能です。このように現時点でも拭き掃除は人の手を離れつつありますが、同メーカーによると、未来の拭き掃除は更に便利になるとの予想を立てているようです。

ロボット同士の連携によって拭き掃除が便利になる

同メーカーは2019年、床拭きロボットの最新型発表会の場で、「ロボット同士の連携」によって人の手を煩わせない世界を目指すと語りました。
つまり、掃き掃除や拭き掃除を別々に考えるのではなく、例えば「落ちているものを元の場所に戻し、掃き掃除を行った後に拭き掃除で仕上げ」といった一連の作業を、全てロボット同士の連携のみで完了させることを目標としているのです。
雑巾は身近な存在でありながら、直接人の手に触れる機会は徐々に減るのかもしれません。

雑巾は変幻自在の生活必需品!今も昔も拭き掃除の味方

拭き掃除と雑巾は時代に合わせた進化を遂げてきました。ある時は、建築様式の変化、またある時は木綿の普及によって姿形を変えてきたのです。いずれにしても人々の生活環境を整備するために欠かせない存在であることは歴史が証明しています。

そして現代ではロボットとの融合が始まりました。いまや掃き掃除も拭き掃除もロボットやIoT技術で自動化されていますが、ロボットの拭き取り部分には変わらず雑巾が活用されています。雑巾は今後も拭き掃除においては永遠のスタンダートとなることでしょう。

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